八女福山地区の町なみ保存

長崎県ヘリテージアドバンス講習会に参加してきました。
講義の内容は
① 演題 八女市福山地区の町なみの保存について
② 演題 熊本地震における文化財ドクター事業について

八女(やめ)の地名の由来は、最古の歴史書「日本書紀」に「この地方に女神あり、その名を八女津姫といい、常に山中にあり」との記述があります。その一節が、八女という地名の由来と言われています。
太古の昔、九州平定の為に八女地方に巡幸してきた景行天皇が、「山の峰が幾重にも重なり非常に美しい。神様がこの山にいるのだろうか。」とお尋ねになりました。それに対し、水沼県主(ミヌマノアガタヌシ)猿大海(サルノオオアマ)さんが「女神様がいらっしゃいます。その名を八女津姫と申します。いつも山の中にいます。」と答えたそうす。この八女という地名はこのヤメツヒメの名が元になったと、日本書紀に書かれています。

この猿大海(サルノオオアマ)さんが言った「その名を八女津姫と申します。いつも山の中にいます」という言葉の裏には深い意味があります。「八女」ということばは「この地は女性が多く、男性が少ない、即ち大和朝廷と戦う程の兵士が少ない」という意味。「いつも山の中にいます」ということばは「山の中から一歩も出ずに朝廷に刃向かう意思は全くない」という意味。つまり九州征伐を目的とする景行天皇に対して「征伐すべき土地ではありませんよ」ということを暗に伝えた「平和のための名文句」だったのです。

八女福島は、商家町で、平成14年5月に重要伝統的建造物群保存地区に選定されてます。

平成3年(1991)に大型台風17号19号によって町屋が被害を受けて、八女の町なみの崩壊に危惧して、平成4年に西日本新聞八女支局に赴任した新聞記者の呼びかけで、町並みは貴重な資源であり残すべきであると力説し、地元住民および外部支援者とともに町並みに関する勉強会が始まりました。

先述の新聞記者の町並み保存に対する姿勢に個人的に強い影響を受けた市職員は愛媛県内子町の元町並み保存の担当者とも交流があり、その人物の行政職員の枠を越えた取り組み姿勢に大いに刺激を受けている。また、当初からのまちづくりの若手中心メンバーのひとりで建築士である人物は、八女福島とは別の地区の出身であるが、もともと八女福島については立派な町として印象に残っており、東京で就学中、埼玉県川越市川越地区の町並み保存の取り組みの記事をㄞみ、八女福島の町並み保存に取り組む決意をしたという経緯がある。

野田国義 市長選挙・当選

34歳で八女市長選挙に無所属で出馬し、全国最年少で初当選。その後4期15年8ヶ月にわたり市長を務めた。2005年の市長選では、かつて秘書を務めた古賀の主導により対立候補を立てられるも、4選。2008年9月、八女市長を辞職

2009年、第45回衆議院議員総選挙に民主党公認で、かつて自身が仕えた古賀の選出選挙区である福岡7区から出馬。福岡7区では古賀に敗れたが、重複立候補していた比例九州ブロックで復活し、当選した。2012年の第46回衆議院議員総選挙では、古賀から後継指名を受けて立候補した、古賀の元秘書である自民党新人の藤丸敏に福岡7区で敗れ、比例復活もならず落選した。

2013年7月、第23回参議院議員通常選挙に民主党公認で福岡県選挙区(定数2)から出馬し、得票数2位で当選[1]。この選挙において、九州地方で唯一当選した民主党の候補者であった。

2018年5月に民進党と希望の党が合流する形で結成された国民民主党には参加せず、無所属で活動する意向を表明し直前に民進党を離党した[2]。10月17日、立憲民主党の院内会派である「立憲民主党・民友会」に入会し[3]、12月25日に正式に入党した[4]

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